向き不向き?

師匠にはかなり愚痴をこぼしてきたと思うけど(毎年夏には愚痴というか与太話を聞いてもらってるし)、「プログラムから離れることをお勧めする」(id:Florian:20071104:1194133178)と言われた記憶が無いので、どうやらプログラムは嫌いでは無いらしい。
最近、本当かなと思うときはあるけど。


仕事で扱ってるのはプログラムとは名ばかりの玩具みたいなものだから、実際プログラムをやってるって実感はあまりないのでなんとも言えないんですが、プログラムってそんなに精神的な負債の方が多いんですかねえ。
商業ソフトウェアと制御屋の組み込みもどきとはレベルが違うんでしょうが。
私のお仕事はテレビとかカーテンとか床暖房とか人様の作った機械を乗っ取って動かす(機構を実装する)のにたまたまプログラムを利用しています。
おおよそありとあらゆる電化製品が動かせるので、家中を一元管理したりもします。
プログラム作業の成果がそれこそ家中の電化製品の一括操作だったりするので、いわゆるソフトウェア作成の成果とは次元が違う……というか比べること自体が無意味なのかもしれません。
とはいえ、これは作業のストレスのはけ口が作業環境に組み込まれているというか、手の届く(目に見える)ところにあるというだけの話で、結局はプログラムのストレス発散を作業内で見いだすということにはなってないですね。
幸か不幸かプログラム作業をしてる方が気が楽なぐらいなので、プログラムが大変な事は理解できても、嫌いということは理解できそうにないです。


でも、私も人にプログラムを教える立場になってしまったので、いろいろ考えることもあります。
プログラムが好きか嫌いかはそれこそ向き不向きなので、私の力ではどうすることもできないですから、「不向き」に分類される人でもやっていけるように、教えるときは必ず身近な機械を動かすことにしてます。
それこそ、白熱電球をリレー回路を介して点灯させるという原始的な事をやります。
「普段スイッチで点けていた電球が自分の書いたプログラムでコントロールできた」
なんだそんなことかと思うかもしれませんが、やってみると小さな感動はあります。
そういう小さな感動とプログラム作業とを結びつけるようにしています。
パブロフいうか、言葉は悪いですがある種の洗脳です。
結果がどうあれプログラム作業が大変なことには変わりないし、作業が快適になることなんて無いから、プログラムを行うと感動にたどり着くという洗脳をするわけですね。
メールの送受信やインターネットをするくらいなのに白羽の矢が立って渋々覚える人にプログラムを教えるにはこうするしか無かったんです。
だってプログラムなんて楽しいわけ無いから。


いやな結論が出ましたが……結局、とりとめもなく書いてきて何が言いたかったのかというと。


「君の人生の為にプログラムから離れることをお勧めする」
と言える師匠は羨ましいという事ですかね。
良いなあ。
私も言ってみたい。